職場の人が先日退職。
45歳の方だったので、転職でもするのかと聞くと「いや、不労所得で生きてく目処が立ったから」
ほーーーーーーーーーーーーー!!
マジか、こんな近くに実践してる人がいるとは…
まさにFIRE、セミリタイア。ですね。
本当は55歳を目標にしてたらしいんですが、目処がたったので思い切って!とのこと。
確かに彼は結婚もしてなく、独身謳歌してんなーくらいにしか思ってなかったんですが、あえて結婚せずにいたそうです。
私も株式投資を始めて、FIREという言葉ををよく見聞きするようになりました。
確かに労働に縛られない生き方は魅力的だし、顔を知ってる人が実際に実現したのを見て、感動すら覚えました。
何をやっていたのかを聞くと、不動産投資や株式運用で資金を増やしたそう。本当にお見事。
けれどどこかで、FIREってどうなんだろうとも思うのです。
凄く概念的な話になってしまいますが、
今は資本主義社会で、中心にあるのは企業と労働。
この「労働して企業が成長して」というのが基本構図で、これこそが資本主義です。
我々がそんな資本主義社会で生きている以上、労働をすること若しくは資本を出して企業を作ること、そんな何かしらの経済活動をすることは必要、いや、もはや義務なのではないでしょうか。
「世界は誰かの仕事でできている」とはまさに。
そうなんです。この世の中は誰かの労働で成り立ってるんです。
けれど、今の社会はこの労働という義務がどうしょうもなく苦痛に感じる人が多く(私もそうなんですが)そこにとても矛盾や悲壮感を感じます。
義務が苦痛ってとってもしんどい。そりゃ生きていくの辛い訳だわ。
だから皆FIREを一度は考えるし、実際にそれを目指して日々活動している人も多くいますよね。
FIREとは、主に働かずに好きなことをして生きていくことを指すと思うんですが、今回FIREした彼も「好きなサーフィンをしてのんびり過ごすわ」と言ってました。
でも彼がここでもし、サーフィン教室を開こうと考えたとすると、それは資本を出して企業を作り講師として労働して経済活動をする訳なので、立派に義務を果たしています。
…まぁFIREしたわけですし、しないと思いますが。
でも、好きなことを労働にして生きていくっていいですよね。
聞いただけで義務の苦痛が少し和らいだ気がする。
じゃあ私の好きなことって何だろう…と自分に目を向けると…特にない。
結構こういう人が多い。
好きなことがある人も、ゲームするとか漫画を読むとか。そんな人も多い。
享受する側としての好きなこと、消費者としての好きなことなんですよね。
当然消費する側だと消費しちゃうのでそこで終わる。回らない。料金以外の還元ができないんです。
思えば私はいつも受け取るだけ、消費するだけの人生でした。
受け取るだけの教育を受けて、みんなと同じだから就職。
だから仕事も受け取る側。働く理由は給料を受け取らなきゃならんから。
けれど給料を受け取るには、仕事も受け取ってさらに還元しなきゃならない。
でも今まで消費しかしてこなかったもんだから、お金を払う以外の還元の方法が分からない!学校で教えてもらってないもの!
さらにそれが義務ときたらもう…そりゃ…苦痛だわ。
こんな人、たぶん多い。
そして子供の顔をみて、子供の将来を想像して思うのです。こんな風な生き方をしてほしくないなと。
こんな人もたぶん多い。